
外国の人から"What is Shinto?"と聞かれて、答えに窮した経験はありませんか?
神道はキリスト教、ユダヤ教、イスラム教などの一神教と違って、八百万の神がいる程度のことは言えても、それ以上はちょっと・・・という人が多いのでは。
キリスト教信者という呼び名はあっても!”神道信者”は聞いたことはありません。日本に住んでいればShintoistというアバウトな定義を聞いたことがありますが、日本人であっても日常生活で神道を意識することはあまりないような気がします。
しかし、この本を読むと、私たちが普段使っている言葉には神道の考え方が籠められていることがよくわかります。
たとえば、みず。
水または端と記されますが、「みづみづし」「みどり」と関係があり、「みづ(端)」は「若々しく生命力に満ちたさま」を言います。「みどりご」といえば嬰児のことで、新芽のような若々しい幼児のこと。「みどりの黒髪」は美しい艶々とした乙女の黒髪ですね。「みどり」は青々とした若葉の色を指します。いずれもみずみずしい生命力に満ちた様を表しています。
また、英語では水、お湯はそれぞれ、water, hot waterですが、日本語では水、お湯と違う言葉を用います。湯は「斎水(いみず)」から来ており、それには聖水の観念があるそうです。病気や傷をいやし、疲れをとる蘇生の水を意味します。
「みず」(水)は生命の根元であり、「ゆ」(湯)は生命を復活させるという考え方がそれぞれの言葉に籠められているわけです。
興味深いのは、「ち」ということばで、古事記には久久野智神(くくのちがみ:木の神・・・茎の霊の意)、野椎神(のづちがみ:野の神・・・野の霊の意)、火之迦具土神(ひのかぐつちがみ:火の神・・・火が燃え輝く霊の意)など、「ち」のつく神さまがたくさんいます。
「みづち」「おろち(大蛇)」「いかづち(雷)」も神とは見られていませんが、強い力を持つ自然界の存在です。
「はやち(早風)」「こち(東風)」は風の意ですが、古代人にとって風は自然の息吹ととらえられ、霊妙な力を持つものと考えられていました。
余談ですが、「おやぢ」は元来嵐のような強い風を意味し、自然災害の怖さを指したことばだそうです。「地震、雷、火事、おやじ」と言うのが、よくわかりますね。
昔の人は、「ち」ということばの中に霊妙不可思議な霊魂のはたらきを感じていました。つまり、血=霊であり、血液にも神秘的な霊力がある、生命力そのものだと考えていたのです。
上記の他にも「さくら」「むすめ・むすこ」「はし」「かみ」「まつり」等のことばを取り上げ、それぞれの語源から神道との関連を説明しています。それを読むと、普段何気なく使っていることばには深い意味が隠されており、それが神道の考えにつながっていることがよくわかります。
この本を読み終わってから、”日本語っていいなあ!”と素直に思え、普段使っている言葉がとても愛おしく感じられました。